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【現役エンジニアインタビュー第3弾】地方在住でも諦めない。愛媛県松山市から“東京の仕事”を選んだ理由

【現役エンジニアインタビュー第3弾】地方在住でも諦めない。愛媛県松山市から“東京の仕事”を選んだ理由

2025年5月6日

“場所に縛られない”を選んだ理由

―― “場所”でキャリアを諦めたくない。それがフルリモートでした ―


広島で生まれ、東京で揉まれ、今は愛媛で働いています。

結局ぼくは“土地”より“仕事の中身”を選びたかったんです。


そう語るのは、現在愛媛県松山市に住みながら、東京に本社を構える企業でフルリモート勤務をしているWebエンジニアのCさん(30代)だ。

取材で聞いた等身大のエピソードをもとに、彼の人生を辿りました。


目次



キャリアの原点――「数学好き」と「不合格通知」

「最初は公務員になりたかった」とCさんは笑う。

地元・広島で受けた公務員試験に落ちた結果、“論理を武器にできる仕事” を探した。大学では数学科。論理的思考が染み付いた彼にとって、プログラミングは“活路” に映る。


Cさん:

当時は“エンジニアになりたい”というより“向いているかも”程度。

でもコードを書きはじめると数学で感じる快感に似ていたんですよ。(笑)


山添:

ある意味公務員試験に落ちたことは人生の転機になりましたね。(笑)

地元・広島から愛媛に移られたのはいつ頃でしたか?


Cさん:

広島から愛媛に移ったのは、大学進学のタイミングです。

その後は仕事の関係で東京に住んだこともあるので、詳しくは順を追ってお話しできればと思います。


下流工程で芽生えた「上流」への飢え

愛媛の企業でキャリアをスタート。親会社(東京に本社)が要件定義を行い、自社は下流を請け負う構造だ。サブリーダーに昇格し、打ち合わせに出席したある日、“仕様を決める側” を目の当たりにした。


Cさん:

「上流に行きたい」――。周囲へこんな言葉を放ちました。

すると同僚から「東京へ行け。上流をやるなら絶対そっちだ」とアドバイスを頂き、覚悟を決め、東京行きを決めました。


上流を求めて東京へ── 視野が広がった日々

東京で入社したのは、クライアントごとに異なる課題を上流から下流まで引き受ける会社。業界特化ではない。だからこそ、「どんな案件が来るかわからないスリルが面白かった」とCさんは語る。


愛媛へ戻る決断── 結婚、U ターン、そして“古の言語”

結婚を機に妻の地元・愛媛へ。本人も大学時代を過ごした土地で馴染みはある。「子どもができたとき頼れる家族がいる場所を選びたかった」と。(Cさん)


地銀SEで味わったギャップ

就いたのは地方銀行の社内SE。開発が続けられることを期待していた。

だが割り当てられたのはアセンブラを使うレガシーシステム。


Cさん:

“開発できる”と言われていたけれど、さすがに想像と違っていました。


その後、ベンダーと行内部門をつなぐ調整役に異動。約1年半、橋渡しを担う。けれどもコードへの渇望は募るばかりだった。


コロナ禍がくれた“フルリモートという選択肢”

銀行在籍中に新型コロナが拡大。リモートワークが一般化し、「愛媛にいながら首都圏の案件に挑める」 という状況。東京の企業に応募し、フルリモートの正社員として採用された。


Cさん:

どうしても愛媛のシステム会社と比べると、東京の企業の方が案件の幅が広く、魅力的な仕事に出会える可能性が高いと感じていたんです。

実際に、本社機能が東京にある企業に所属することで、大きな仕事にも関わることができ、非常にやりがいのある仕事ができています。


24/365 保守の“深夜のコール地獄”

配属は少人数の保守チーム。障害が起きれば真夜中でも電話が鳴る。

PCを持って帰省、外出や旅行先でもネット環境の確保という日々。


Cさん:

障害電話で子どもが起きてしまうたび“別の働き方を探そう”と強く思いました。


環境を変えるために転職を決意

転職を考えていたが、東京時代にフリーランスたちの姿よく見ていたので、フリーランスの案件も気になり、試しに案件を探してみると、自分の希望に合う案件を発見。そこで転職ではなくフリーランスでの働き方を選択し、そこから同じ企業で1年半仕事を受けていたという。


しかし案件終了後、“沼” に落ちる

案件終了後に新規案件を探そうとすると、企業のコロナ沈静化に伴い、フルリモート案件が激減。さらにCさんの技術スタックはフルリモートには少なく、案件が見つかっても応募条件がフルリモート可だが東京に住んでいることが条件とマッチする案件が見つからない状態が続く。


Cさん:

2 ヵ月ほど無収入。貯金のマイナスが怖かったですね。


この体験が「技術スタックの需要と居住地制約」の現実をCさんに突き付けたという。


改めて選んだ「正社員」という選択肢

“フルリモート OK” なのに不採用

「フルリモート可」と明記された某スキルマッチングサービス企業の求人に応募。結果は “フルリモート希望だから NG”。


Cさん:

『じゃあ募集要項に書くなよ』と思いましたけど(笑)。


Greenで見つけた“経験重視”の会社

転職サイトGreenで、「特定技術より開発経験年数を評価」という東京の企業を発見。開発経験年数を一定培っていたことで、正社員での内定を獲得。


フルリモートの課題──“相談が遅れるメンバーをどう救うか”

Cさん:

報連相を苦手とするメンバーが一定数おり、これはフルリモートの弊害というより、各人の資質によるものです。その結果、気付かぬうちにタスクが滞るケースがありました。メンバーのタイプはさまざまで、こまめに相談してくれる人もいれば、課題を抱え込みがちな人もいます。フルリモートでは直接様子を見に行けないため、想像以上に対応が難しく感じました。


そこで、これらの打ち手により、タスクの滞りを早期に解消できるようになりました。


・朝会の導入

毎朝時間を設け、進捗などを全員で共有する仕組みを整備しました。これにより、課題の早期発見と相互フォローがしやすくなりました。


・15分の雑談タイム

私自身、1on1では本音を引き出しづらいと感じているため、定例の1on1は行いません。その代わり、メンバーと一緒に作業する際に15分だけ時間を延長し、雑談を交えながら距離を縮めています。そこで家庭環境の変化なども聞き出し、必要に応じて担当業務を調整しました。


・自分がされて嫌なことはしない

指示の出し方やフィードバックのトーンなど、相手の立場に立って配慮することを徹底しています。


“余った時間”の投資先
クラウドワークスで小さな案件に挑戦

Cさん:

通勤時間がなくなったことで、空いた時間を活用して副業やスキル習得に取り組もうと考えるようになりました。現在はさまざまな分野の学習に励んでおり、最近では習得したスキルを活かしてクラウドワークスなどのプラットフォームでも活動を始めています。


フルリモートが教えてくれた“自己責任”の本質

山添:

これからの展望を教えてください!


Cさん:

今後は、本業を続けながら副業にも取り組み、視野を広げていきたいと考えています。副業で得た経験やスキルを本業に還元することで、知識の幅を広げ、相乗効果を生み出したいと思っています。また、今後はマネジメント領域にも挑戦し、管理スキルを高めながらマネージャーなどへのステップアップを目指しています。


山添:

ぜひ読者の方へアドバイスをお願いします!


Cさん:

正直に言うと、出社時と比べてコミュニケーションは取りづらくなります。出社していた頃は、対面のやり取りや雑談の中でなんとなく伝わったこと、うまくごまかせていたこともあったかもしれません。しかしフルリモートになると、それが通用しなくなります。良くも悪くも「自分のスキルそのもの」が問われる環境です。


例えば、以前は特定の人との関係性に助けられてミスが見逃されるようなケースがあったとしても、フルリモートではそういった“空気”での調整は難しくなります。本当の意味で、自分の実力が試される環境だと感じています。


一方で、フルリモートは通勤時間がなくなり、自分自身の時間を確保しやすくなる働き方でもあります。その時間をどう使うかで、成長のスピードやキャリアの充実度は大きく変わってきます。スキルアップのために時間を投資できる人にとっては、大きなチャンスにもなります。


山添:

最後にフルリモートへの転向の決断があなたの人生や仕事にもたらした最も大きな学びは何だと感じていますか?


Cさん:

最も大きな学びは、「すべては自己責任である」という意識です。

フルリモートでは、上司や周囲のサポートに頼るだけでは立ち行かず、成果や成長はすべて自分次第。良くも悪くも結果はすべて自分に返ってくると感じています。


この働き方に転向してからは、会社員でありながらもフリーランスのようなマインドセットになったと思います。自律的に働く姿勢がより一層求められるようになり、その分、自分のキャリアや働き方に対して主体的に向き合うようになりました。


山添:

本日はありがとうございました!

「すべては自己責任である」というお考えが特に印象に残りました。

正社員でありながら、フリーランスのようなマインドを持って働かれているCさんの姿勢に、思わず背筋が伸びる思いでした。

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